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東京地方裁判所 昭和57年(刑わ)529号 判決 1983年2月28日

被告人 鬼頭史郎

昭九・一・六生 無職

主文

被告人を懲役一〇月に処する。

この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。

差戻前第一審及び同控訴審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四二年四月七日判事補に任命されると共に、名古屋地方裁判所判事補に補され、次いで、昭和四五年一〇月一二日簡易裁判所判事に兼ねて任命されて、鹿児島地方裁判所判事補兼鹿児島家庭裁判所判事補、鹿児島簡易裁判所判事に補されたのち、昭和四七年四月一日東京地方裁判所判事補兼東京家庭裁判所判事補に補されて、東京地方裁判所及び東京家庭裁判所各八王子支部勤務を命ぜられ、同時に八王子簡易裁判所判事に補され、同月七日には、判事補の職権の特例等に関する法律一条の規定により判事の職務を行わしむる者に指名され、右各裁判官として、司法研究ないしはその準備としてする場合を含め、量刑その他執務上の一般的参考に資するため刑務所長ら刑務所職員に対し資料の閲覧、提供等を求めることができる職務権限を有していたものであるが、北海道網走市三眺官有無番地所在の網走刑務所で保管している宮本顕治(当時日本共産党中央委員会幹部会委員長)の身分帳簿等資料を調査するについて、右のような執務上の一般的参考に資するという正当な目的がなく、これとかかわりのない全く私的な目的でいるのに、その事情を秘し、昭和四九年七月二二日ころから同月二四日までの間、あらかじめ三回位にわたり前記網走刑務所に電話をかけ、同刑務所総務部庶務課長南部悦郎及び同刑務所長程田福松に対し、東京地方裁判所八王子支部の鬼頭判事補である旨を名乗り、治安裁判の調査や研究をしているなどといつて、右宮本に関する資料の閲覧等調査を申し入れたのち、同月二四日同刑務所に赴き、同刑務所所長室において、右程田所長に対し、右南部課長を介して「東京地方裁判所裁判官」の肩書を付した名刺を手交した上、同所長らが右宮本の身分帳簿を用意しているのを知るや、あたかも裁判官としての右正当な目的による調査行為であるかのように装いながら、同所長に右身分帳簿の記載内容の調査に応ずるように求め、その旨誤信した同所長をして、被告人自らが右身分帳簿を閲覧することを許させ、その閲覧中に、携行していた録音機をひそかに作動させて、右身分帳簿の記載内容を音読して録音したり、その記載内容について同所長に質問して応答させるなどし、更に写真撮影の許可を申し出た上、「私は、治安維持法関係の事件なんかを研究しておりましてね、それでご承知だと思いますけれども、司法研究というのがあるんですがね。」などと申し向け、同所長の前記誤信を強めさせて、同所長にこれを許可させ、直ちに同刑務所会議室において、右身分帳簿の記載内容について写真撮影をし、その後右撮影ずみのフイルムを巻き戻す際、一部を感光させてしまつたため、同月二九日同刑務所に電話をかけ、同課長に対し、右写真撮影が失敗に終わつた事情を告げて、右身分帳簿の一部たる視察表、刑の執行停止の上申書及び診断書の写しの送付方を依頼し、同所長の意を体した同課長に、同月三一日、右各文書の手書きの写しを東京都三鷹市下連雀二丁目一四の二の被告人の当時の住居あてに速達郵便により送付させ、同年八月三日ころ右住居地において、これを入手し、もつて、職権を濫用して同所長らをして義務なきことを行わしめたものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人及び被告人の主張に対する判断)

弁護人及び被告人の主張は多岐にわたるが、その主要なものは次のとおりである。(一)本件において職権を濫用したといい得るためには、被告人が裁判官としての職務上の参考に資するための調査・研究という正当な目的ではなく、これとかかわりのない目的であるのに、職権の行使による調査行為であるかのように仮装したことを要するが、被告人は本件に際し、司法研究の準備という正当な目的で本件身分帳簿の調査を行い、また、職権の行使を仮装するような言動は何らしておらず、少なくとも、被告人が司法研究準備の目的を有さなかつたことの立証も、職務と無関係な目的でいたことの立証もない。(二)本件身分帳簿は秘密性を有さず、前記網走刑務所長程田福松及び同刑務所総務部庶務課長南部悦郎にその守秘義務がなく、職権濫用罪の客体が行うべき行為の対象となり得ないので、被告人が右程田所長らをして本件身分帳簿の閲覧、その写しの交付等に応じさせたことをもつて、同所長らに義務なきことを行わせたものということはできない。(三)程田所長及び南部課長は、被告人が本件身分帳簿の閲覧、その写しの交付等を求めたことが裁判官としての正当な目的による調査行為であるとは誤信しておらず、かえつて、それが個人的なものであることを熟知した上で被告人のため便宜図りをしたのであつて、被告人が本件身分帳簿の閲覧、その写しの交付等を求めたことと、同所長らが右閲覧を許可し、写しを交付するなどしたこととの間には、因果関係がない。(四)裁判官が刑務所長らに対し資料の閲覧、提供等を求めることが、職権濫用罪における裁判官の一般的職務権限に属することは、本件差戻前上告審決定によつて初めて明らかにされた法解釈であつて、被告人は本件に際しそのような職務権限を有することを認識しておらず、もとよりこれを濫用しているとの認識もなく、加えて、本件所為について違法性の意識がなく、かつその意識がないことに相当の理由があるので、結局被告人には犯意が欠如していたこととなる。(五)本件身分帳簿が秘密性に欠け、特に、それが保存期間を経過した廃棄対象の文書であり、その中には内容虚偽ないし偽造のものが含まれていることなどからすれば、程田所長らが被告人に対し本件身分帳簿の内容を開示したことは、咎め立てするほどのことではなく、被告人の本件所為は可罰的違法性のないものと評価すべきである。(六)大判大正元年一二月二三日刑録一八輯一五七七頁によれば、公務員の職権濫用行為が同時に他の罪にも該当する場合は、後者の罪のみをもつて問擬されるべきであるから、被告人の本件所為については、予備的訴因の国家公務員法違反の罪責が問題となるのみである(もつとも、右予備的訴因は付審判決定によつて審判の対象となされ得るものではない上、本件身分帳簿には秘密性がなく、被告人にはその犯意が欠けることなどから、右予備的訴因についても、被告人がその罪責を負うことはない。)。(七)職権濫用の訴因のうち被告人の昭和四九年七月二四日の所為と同月二九日の所為とは、全く切断された別個のものであるところ、本件付審判決定は昭和五二年七月二六日になされており、前者については、すでに三年の公訴時効が完成しているので、免訴の判決がなされるべきである。

弁護人及び被告人は、おおむね右のように主張するので、以下これについて順次当裁判所の判断を示すこととする。

(一)  被告人の職権濫用の行為について

(1)  本件差戻前上告審の裁判である最高裁判所第二小法廷昭和五七年一月二八日決定によれば、「刑法一九三条にいう『職権の濫用』とは、公務員が、その一般的職務権限に属する事項につき、職権の行使に仮託して実質的、具体的に違法、不当な行為をすることを指称するが、右一般的職務権限は、必ずしも法律上の強制力を伴うものであることを要せず、それが濫用された場合、職権行使の相手方をして事実上義務なきことを行わせ又は行うべき権利を妨害するに足りる権限であれば、これに含まれ」、「裁判官が刑務所長らに対し資料の閲覧、提供等を求めることは、司法研究ないしはその準備としてする場合を含め、量刑その他執務上の一般的参考に資するためのものである以上、(中略)刑務所長らに対し行刑上特段の支障がない限りこれに応ずべき事実上の負担を生ぜしめる効果を有するものであるから、それが濫用された場合相手方をして義務なきことを行わせるに足りるものとして、職権濫用罪における裁判官の一般的職務権限に属すると認めるのが相当である。」、「したがつて、裁判官が、司法研究その他職務上の参考に資するための調査・研究という正当な目的ではなく、これとかかわりのない目的であるのに、正当な目的による調査行為であるかのように仮装して身分帳簿の閲覧、その写しの交付等を求め、刑務所長らをしてこれに応じさせた場合は、職権を濫用して義務なきことを行わせたことになるといわなければならない。」とされている。

そこで、被告人の本件所為中に職権の濫用と目すべきものがあるか否かを、裁判官としての職務上の参考に資するための調査という正当な目的の有無、正当な目的による調査行為であるかのように仮装したことの有無とに分けて考察する。

(2)  被告人の調査目的について

被告人は、当審公判において、本件所為の目的について大要次のように主張するに至つている。すなわち、被告人は、その大学院在学当時から治安維持法などの治安立法や治安事件裁判について研究を行つており、昭和四〇年代なかば以降において、いわゆる過激派裁判が一つの社会問題化し、法廷秩序の維持、弁護人をも巻き込んだ刑事被告人側の法廷戦術に対する対策などが大きな社会問題となる情勢のもとで、戦前の治安事件における訴訟手続、刑事被告人の法廷戦術に対する裁判所の対応、刑事被告人、受刑者の処遇及びその最終到達点としての昭和二〇年秋行われた政治犯の身柄釈放、復権等の法的メカニズムについて、裁判官として研究し、これを司法研究という形で発表することを目論み、その研究の一資料を収集しようとして本件身分帳簿の閲覧、その写しの交付等を求めたものである、としている。しかし、関係の証拠によれば、次のとおり右主張にそわない諸事実が見出される。

(ア) 被告人は、昭和四九年七、八月当時、司法研修所長から司法研究の委嘱を受けていなかつたのはもちろん、同所長から司法研究の準備を命じられたり、その内示を受けたりもしていなかつたことが明らかである。

(イ) 司法研究は、昭和四六年までは、司法研修所において多数の研究題目を提示し、通常は応募者を求めた上で、高等裁判所長官の推せんに基づき最高裁判所裁判官会議で研究題目と研究員が決定されていたが、昭和四七年からは、最高裁判所事務総局の各局の意見を参考にして司法研修所で研究題目を選定すると共に、その研究に適任と思われる研究員候補者を司法研修所で選定し、最高裁判所裁判官会議で最終的に決定されるという方式がとられるに至つているにもかかわらず、被告人は、この制度の変更に当審段階に至るまで全く気付いていなかつたものである。司法研究に従事することを目指してそのための資料を収集しようとする者であるならば、司法研究員選定の方式に関心を払い、また、他の司法研究員の行つた研究内容、特にそれが自己の目論む研究テーマに関連するものではないかなどに注意するのが当然というべきであり、このことは、東京地方裁判所事務局長から各裁判官宛に通知された司法研究報告会の開催に関する通知等に留意することによつて、容易に被告人においても知ることができたはずである。しかるに、前記のごとき研究テーマで司法研究に応募しようと目論み、そのための一つの資料の収集を網走刑務所にまで出向いて行つたという被告人が、この研究員及び研究題目の選定方式の変更について全く認識を欠いていたのは理解し難く、かえつて、それは被告人が司法研究に現実的な関心を有していなかつたことの証左に数えることもできる。

(ウ) 被告人は、昭和四九年七月から八月にかけて本件資料を入手したものの、現実には裁判官でなくなるまでの間に司法研究に従事したり、従事しようとして具体的行動に出たりした事実はなく、前記のような題材について研究論文を執筆し発表した事実もうかがうことができない。

(エ) 被告人は、捜査段階から差戻前上告審までは終始、本件身分帳簿の閲覧、その写しの入手等の動機について、一貫して個人的研究のためであると称してきている。具体的にみると、被告人は、検察官に対する昭和五二年二月二二日付供述調書で、「入手動機は年来の個人的研究のため」と述べ、差戻前第一審第六回公判において、「昭和四九年当時誰にもわかつていなかつた宮本事件の真相というものに興味を持つており、宮本氏の出所とか復権ということは付随的なものとして関心を持つていた。」、「宮本事件の真相に興味があり、宮本氏の人間としての生き方にも面白いものがあるので、将来は何らかの形でまとめてみたいと考えていた。結局は、法律的な観点から光をあてて司法研究の形でまとめておくのが、何かの役に立つだろうという気持は持つていたが、司法研究での具体的な命題というものまでは考えていなかつた。」旨供述し、更に同第九回公判の最終陳述において、私的研究性と題して、「被告人は、従来から、公安問題、治安裁判問題を秘かに専門としていた研究家であり、現に、この事件にまつわる問題の資料を収集するなど研究を私的に行つて来た。」、「被告人は、正に現実に私的に研究していたものである。」旨主張し、上告趣意書中でも右最終陳述と同じ主張をしている。

なお、被告人は当審公判において、本件身分帳簿の調査目的について被告人が個人的研究という表現を用いてきたことは、司法研究の準備ということと少しも矛盾せず、むしろ、司法研究員に選任される以前の資料収集等の行為は司法研究の準備のためではあつても、本来個人的研究の用語で表現されるべき事柄である旨主張し供述している。しかし、被告人は当審公判前までは、司法研究は将来のことで、まだ具体的なこととしては考えておらず、本件身分帳簿の調査は全く裁判官の職務権限に関係のない個人的な調査行為であつて、程田所長らは被告人のため個人的に便宜図りをしたにすぎず、被告人の本件所為について職権濫用は問題となる余地がないとの趣旨を強調し続けていたのであるから、右調査が司法研究の準備という裁判官としての正当な目的のもとになされたとする被告人の当審公判における主張等は、従前のそれと基本的に異なるといわざるを得ない。

(オ) 本件身分帳簿の内容の一部が、東京新聞昭和五一年一月二九日付朝刊、文芸春秋同年三月特別号、松本明重編「日共リンチ殺人事件」(恒友出版株式会社発売)にそれぞれ掲載発表されたが、これらの記事は使用文字の異同等から、網走刑務所総務部庶務係長兼名籍係長長屋昭次が作成した本件身分帳簿中の視察表、刑の執行停止の上申書及び診断書の各手書き写しそのものか、又はそれから作られた写しをもとにして書かれたものと認められ、殊に、前記東京新聞掲載の「刑執行停止ノ件」と題する五行からなる書面は、右手書き写しそのもの又はその複写機による写しが写真製版等の方法でそのまま掲載されたものであることが明らかであるところ、右手書き写しの作成及びその後の推移をみると、南部課長は、部下の右長屋に命じて本件身分帳簿中の視察表、刑の執行停止の上申書及び診断書の各手書き写しを作成させ、電子リコピーでその写し(以下手書き写しのコピーという。)を各一部とつた上で、右手書き写しの原本を被告人宛に速達郵便で送付し、右手書き写しのコピーを公文書綴の一つである昭和四九年庶務雑件綴に綴り込んで保管し、手書き写しのコピーは、前記新聞記事等が現われた当時においても、右庶務雑件綴中に存在していたこと、右庶務雑件綴は、昭和四九年一月から同年一二月までの庶務課雑書類が一括して編綴され、昭和四九年中は庶務課内に保管され、それ以降は、本件身分帳簿そのものが保管されていた網走刑務所内文書庫に保管されていたが、同文書庫には常時施錠がなされ、鍵は庶務課長が保管していたこと、手書き写しの原本を入れた速達郵便は、昭和四九年八月三日午前八時までに三鷹郵便局に到着し、同日午前中に被告人宅に配達されたことなどが認められる。

そうすると、前記新聞記事等のもとになつたものが右手書き写しのコピーであつたとするならば、網走刑務所内部の者が右庶務雑件綴中の手書き写しのコピーから更に写しを作り、これを部外の者に提供したと考えるほかなく、被告人も(証拠略)において、その可能性があるとの趣旨を供述している。だが、そのような事実に存在したことを示す具体的な証拠は全くないばかりでなく、右庶務雑件綴中に手書き写しのコピーのあることをあらかじめ発見していた上、誰にも気付かれないで、同綴を持ち出すか、右コピーのみを同綴から抜き出して、複写機で右コピーの写しを作り、同綴を元に戻すか、右コピーを同綴に返すようなことができる者であれば、本件身分帳簿そのものから写しを作成することができたはずであり(右庶務雑件綴が前記文書庫に保管されていた昭和五〇年以降は、特にそうである。)、そのような者がことさら手書き写しのコピーを更に複写するようなことをするとは容易に想像することができない。

被告人は、(証拠略)において、右手書き写しを入れた速達郵便が三鷹郵便局に到着したのは、昭和四九年八月三日でありながら、それが被告人の手元に届いたのは同月一〇日であり、封筒の下部にはがされて再び貼られたとみられる跡もあるので、右速達郵便が網走刑務所から被告人の手元に届くまでの間に何者かによつて開披され、手書き写しが複写されている可能性もある旨供述してもいる。しかし、当時被告人が右速達郵便の配達遅延や開披の痕跡について、郵便官署、捜査機関等に苦情を申し立てたり、捜査を依頼したりした事実も、網走刑務所側に開披の痕跡について問い合わせをした事実もないことなどからいつて、被告人の右供述は容易に措信し難く、右速達郵便は、通常の配達経過をたどつて、何らの事故もなく被告人の手中に入つたものと推認することができる。

そして、このような状況に加えて、被告人が郵送を受けた手書き写しが被告人の意思によらずして他の者の手に渡り、あるいは被告人が託した者から被告人の意思によらずして更に他の者の手に渡つたことをうかがわせるような証拠は皆無であることもあわせ考慮すれば、前記新聞記事等のもとになつたのは、網走刑務所に保管中の手書き写しのコピーではなく、被告人が郵送を受けた手書き写しであり、右手書き写しそのもの又はそれから作られた写しが被告人の手によつて流布状態におかれた結果、前記新聞記事等が作成されるに至つたものと推認してよいというべきである。

なるほど、被告人が右手書き写しの郵送を受けたときに、すでに手書き写しを他に流布することまで考えていたとの証拠は、もとより存しないが、手書き写しを入手したのち前記新聞記事等が現われるまでのいつの時点で、被告人が流布を決意したのであつても、流布を決意しそれを実行したこと自体が、司法研究の準備のためなど、職務に関係した真摯な動機から被告人が手書き写しを入手していたのではないことをうかがわせる一根拠となると考えられる。

(カ) 本件身分帳簿は、本件当時日本共産党中央委員会幹部会委員長という政党の要職にあつた宮本顕治が、戦前同党の活動に関連して犯した罪について受刑し、終戦後間もなく釈放されたことにかかわる記録であつて、その内容を究明することが、裁判官の執務一般に参考となるような研究結果をもたらすものとはにわかに想像することができない。それのみならず、被告人は当審公判において、前記主張のような司法研究の準備に取りかかつていたことの立証として、「戦後労働公安事件総索引(共産党関係)」、「戦後主要労働公安事件年表索引」、「公安事件年表(記事)」及び「公安事件年表(目次)」を提出し、これらは右司法研究のための索引的基礎資料として、昭和四九年ころには作り上げていたものである旨を供述しているが、右書証等を索引的に使う研究において、何故に本件身分帳簿の内容の調査が必要とされることになるのかもまた、理解するのにすこぶる困難である。

そして、以上の(ア)ないし(カ)の各認定事実を総合して勘案するときは、被告人は昭和四九年七月、八月当時、当審公判で主張するような司法研究を目論んでおらず、むしろ個人的興味を満たすため、全く私的な目的で、すなわち、裁判官としての職務上の参考に資するための調査という正当な目的と何らかかわりのない目的で、網走刑務所に保管中の右宮本に関する資料の調査を企図し、本件身分帳簿の閲覧、その写しの入手等を図つたものと認定することができる。

(3)  職権行使の仮装について

本件に際しての被告人の程田所長及び南部課長に対する言動をみると、被告人は、証拠調のため昭和四九年七月二三日に札幌地方裁判所へ出張する機会に、網走刑務所に立ち寄つて宮本顕治に関する資料を収集しようと考え、同月二二日ころ同刑務所に電話をかけ、応対に出た南部課長に対し、「東京地裁八王子支部の鬼頭判事補であるが、治安裁判等を研究しており、終戦当時網走刑務所に収容されていた政治犯の宮本顕治のことについて調査したいので、資料があつたら見せて欲しい。二、三日中に行くからよろしく頼む。」旨申し入れ、同課長から捜しておくとの一応の了承を得たこと、同月二四日午前中札幌市内で、同刑務所に電話をかけ、程田所長に対し、「この前電話をした東京地裁八王子支部の鬼頭判事補であるが、共産党の宮本顕治が終戦直後に網走刑務所を出所しているので、その関係の資料を調査したい。これからそちらへ行くので、よろしく頼む。」旨依頼し、その際同所長から「法務省矯正局庶務か札幌矯正管区の了承を得るように。」といわれたため、間もなく札幌矯正管区に電話を入れ、応対に出た同管区第二部長森律夫に対し、身分や氏名を告げた上、「終戦直後に刑の執行停止になつた者について調査するため網走刑務所に行きたいが、同刑務所で上の了解をとつてくれといわれたので、口添えして欲しい。」旨依頼し、その承諾を得たこと、その後右森部長から程田所長に電話で、被告人の依頼の趣旨及び差し支えのない範囲で適宜調査に応じるよう伝えられたことがあつて、同日再度同刑務所に電話した際、程田所長から調査に応じる旨の応答を得たこと、同日午後同刑務所に赴き、出迎えた南部課長に「東京地方裁判所裁判官」の肩書がある名刺を手渡し、同課長の案内で所長室に入り、同課長が右名刺を程田所長に渡したあと、同所長と挨拶をかわし、同所長が本件身分帳簿を用意しているのを知るや、直ちにその記載内容について尋ね、自らも閲覧し、更にその写真撮影の許可を求め、「釈放表紙と釈放執行指揮と釈放指揮と診察のところが札幌高検にも本省にもどこにもないんです。」、「私は、治安維持法関係の事件なんかを研究しておりましてね、それでご承知だと思いますけれども、司法研究というのがあるんですがね。」などと述べ、同所長の許可を得て、引き続いて別室で写真撮影を終えたことなどが認められる。

これらの被告人の言動によれば、被告人は、東京地方裁判所の裁判官であることを明示した上で、私的個人的な研究のための調査であるとの趣旨は少しももらさない一方、かねて治安関係の裁判や事件を研究してきており、司法研究をするつもりもある旨を告げているので、表現自体としてはかなり簡単であいまいなものであるとはいえ、被告人は程田所長らに対し、裁判官の職務上の参考に資するものとして前記宮本に関する資料、更にはその身分帳簿の調査の応諾を求める外形の行為をしたというべきである。被告人の本件所為中には職権の行使を仮装するものがあつたと認定することができる。

(4)  このように考えてくると、被告人は、司法研究の準備など、裁判官として執務上の一般的参考に資するという目的がなく、全く私的な目的でいるのに、裁判官の職権を行使しているとの外観を有する言動に出ており、被告人には職権を濫用する行為があつたといわなければならない。

(二)  本件身分帳簿の秘密性について

本件身分帳簿に秘密性があること及び程田所長、南部課長らにその守秘義務があることは、被告人の本件所為を職権濫用罪に問う上で必要であるとは必ずしも解されないが、弁護人及び被告人の主張にかんがみ、また、他の主張に対し判断を加えるに当つての便宜をも考慮して、右秘密性等についてここで触れることとする。

確かに、身分帳簿は、法務省秘密文書等取扱規程(昭和四八年一月二〇日法務省訓令秘庶訓第四七号)に基づく秘密文書の指定を受けてはいない。

しかし、身分帳簿は、監獄法施行規則二二条一項によつてその作成が義務づけられ、「収容者身分帳簿様式改正ニ関スル件」(昭和一九年九月二九日司法大臣訓令刑政甲第三二八八号)及び「収容者身分帳簿様式改正ニ関スル件」(昭和一九年九月二九日司法省刑政局長通達刑政甲第三二八八号)によつて様式が定められているところ、身分帳簿の内容は、収容者の名誉や人権にかかわるため密行されている行刑についての必要事項、参考事項が記載されているものであり、収容者、その他の関係者の名誉等に関する事項、行刑処遇上考慮される事項、行刑当局のみが職務上知り得た事項等が含まれ、これが開示された場合には、収容者及びその関係者の名誉や人権が侵害されることになるのみならず、収容者らの行刑当局に対する信頼関係が損われ、行刑処遇の円滑な実施はもとより、施設の正常な管理運営にまで悪影響を及ぼすことにもなるので、身分帳簿は、全体として、外部に対しては当然に秘とすべき、実質的に秘密性のあるものである。それ故、「収容者身分帳、少年簿又は婦人簿を裁判所へ提出することについて」(昭和四〇年四月一五日法務省矯正局長通達矯正甲第三五六号)及び「刑事訴訟法第一九七条第二項の規定に基づく照会について」(昭和三六年一〇月二三日法務省矯正局長通達矯正甲第九一〇号)により、身分帳簿の刑事裁判所への提出は、刑事訴訟法九九条二項に基づく提出命令による場合のほかは差し控え、裁判所からの提出依頼の趣旨が身分帳簿の一部を知るためのものである場合は、同法二七九条に基づく照会によらせ、原則として回答の義務があるが、回答することによつて施設の管理運営に著しい支障を生じ、又は不当に関係者の人権若しくは名誉を侵害するおそれがあるなどの理由により、相当でないと認められるときは回答の限りでないとされているほか、身分帳簿については、司法研修所長から司法研究を委嘱された者のように、正当な権限ないしは利益を有する機関等から、正当な理由に基づき正当な手続によつて求められた場合にのみ、その開示を許容するのが例とされるなど、身分帳簿の開示は厳格に規制されている現状にある。

そして、身分帳簿の秘密性は、それが前記のような理由に基づくものであるとすると、当該身分帳簿中に保存期間が経過し、廃棄処分が許される状態となつている書類があること、当該身分帳簿の対象収容者が公的立場を有する人物であること、当該身分帳簿中に内容虚偽ないしは偽造のものが存在したり、既に公知となつたものが含まれたりすることなどによつて、なんら解消されることがないと考えられる。被告人の主張中に、前記差戻前上告審の決定が「刑務所長が保管責任を負う身分帳簿は、行刑の一環として秘密性を有し」としていることから、保存期間を経過し、更には内容虚偽ないしは偽造の書類を含むような身分帳簿については、刑務所長にその保管責任がなく、したがつて秘密性がないと解すべきである旨をいうところがあるが、右決定の文言の解釈として被告人の主張するような結論が導かれるものとは到底考え難い。

そうであれば、程田所長は、身分帳簿の保管及び保存の責任者として、南部課長は、同所長の命を受けて身分帳簿の保管及び保存の事務に当るものとして、いずれも本件身分帳簿の秘密性を保持していくべき義務を有していたものというべきである。

(三)  程田所長らの誤信等について

被告人の本件身分帳簿の閲覧、その写しの交付等の要請に対して、程田所長及び南部課長がとつた措置についてみると、身分帳簿の秘密性については前記のとおりであり、身分帳簿がそのような性質の文書である以上、その保管責任を負う刑務所長らが裁判官からの私的個人的な依頼に対し、単なる裁判官一般に対する信頼感、畏敬の念等だけから、自己の保管責任を放棄し、依頼者の調査に便宜を与えてその閲覧、写しの交付等を許容するということは、他に特別の事情が存しない限り、一般には容易に首肯することができないところ、関係の証拠を検討してみても、程田所長及び南部課長と被告人とは昭和四九年七月二四日当日まで全く面識がないなど、同所長らが被告人に個人的な便宜を図らなければならない理由は、格別見出し難いといわざるを得ない。

のみならず、関係の証拠によれば、

(ア)  南部課長は、それまで一面識もなかつた被告人から電話で、前記宮本顕治に関する資料の閲覧等の要請を受けるや、この電話の趣旨を程田所長に伝えたこと

(イ)  程田所長は、被告人の身元確認を南部課長に命じ、同課長は、東京地方裁判所八王子支部民事第三部書記官室に電話をかけ、被告人が同部に属する裁判官であつて、その時点で北海道へ出張中であることを確認し、その旨を同所長に報告したこと

(ウ)  程田所長も、その後被告人から直接電話で、南部課長に対すると同様の要請を受けたが、その際、被告人に対し法務省矯正局庶務か札幌矯正管区の了承を得るよう求めたこと

(エ)  被告人から口添えを依頼された札幌矯正管区第二部長森律夫は、程田所長に電話で、被告人からの依頼の趣旨及び差し支えない範囲で適宜調査に応ずるよう伝え、程田所長は、身分帳簿等を調べて説明する旨の応答をしたこと

(オ)  程田所長は、被告人が本件身分帳簿の閲覧、写真撮影等を終えて辞去したのち、右森部長に被告人がした調査の結果を報告したこと

(カ)  程田所長は、重要な電話内容を記載する電話書留簿に、右の経過のうちの主要なものについての記載をしたこと

(キ)  南部課長は、被告人から電話で、本件身分帳簿の一部たる視察表等の写しの送付方を依頼されるや、右書面の手書き写しの作成を部下に命じ、この手書き写しを被告人の当時の住居あてに速達郵便で送付しているが、その際手書き写しのコピーを送付書のコピーとともに庶務雑件綴に編綴し、かつ、郵便料については、郵券受払簿に送付先として被告人の氏名を書いて公用扱いをしていること

などが認められる。これら程田所長及び南部課長の一連の行動中には、刑務所職員に求められるあるべき姿からすれば、徹底を欠く面が存しないではないが、同所長らの対処の仕方は、同所長らにおいて被告人の本件身分帳簿の閲覧、その写しの交付等の要請を公務として処理していたことを明らかに示している。

そして、被告人の程田所長及び南部課長に対する言辞は、前述のとおり、表現自体としてはかなり簡単、かつあいまいなところがあつたにせよ、その内容は、被告人が裁判官であつて、かねて治安関係の裁判や事件を研究しており、司法研究をするつもりもあるので、裁判官としての職務上の参考に資するものとして本件身分帳簿の調査に応ずるように求める、という趣旨のものであつたことにも徴すれば、これを聞いた同所長らにおいても、治安関係の裁判や事件の研究とか、司法研究とかいう言葉で表わされる裁判官の研究行為の具体的内容、裁判所内部における研究委嘱の手続等の詳細は知らなかつたにせよ、被告人の本件身分帳簿の閲覧、その写しの交付等の要請は裁判官としての職務権限の行使であると誤信して、これに応じたものと認められる。同所長及び同課長の前掲供述は、本件に際し被告人が同所長らに対し、担当事件の裁判に当つて参考とするための調査であるとか、職務上の参考とするための調査であるとかいう文言をことさら告げたか否かの点で、前後で変動し、明確でないものを含むが、被告人が裁判官としての職務権限の行使として右のような要請をしてきたと考えていたことに関する限り、首尾一貫し、格別疑問とすべきところもなく、同所長らの供述は右認定にそうものである。

したがつて、被告人の言動と、程田所長及び南部課長が本件身分帳簿の閲覧を許可し、その写しを交付するなどしたこととの間の因果関係は、その証明十分であるというべきである。

(四)  被告人の犯意について

前記差戻前上告審の決定は、裁判官に刑務所の巡視権が与えられていること、司法研究の委嘱を受けた裁判官が身分帳簿の内容を了知することが許される場合があることなどを指摘し、そのようなことが認められている理由について、裁判官が適正妥当な刑事裁判の実現という職責の遂行上、行刑の実情について十分な理解をもつことが特に要請されているからであるとした上、「右の点にかんがみると、裁判官が刑務所長らに対し資料の閲覧、提供等を求めることは、司法研究ないしはその準備としてする場合を含め、量刑その他執務上の一般的参考に資するためのものである以上、裁判官に特有の職責の由来し監獄法上の巡視権に連なる正当な理由に基づく要求というべきであつて、(中略)職権濫用罪における裁判官の一般的職務権限に属すると認めるのが相当である。」としている。

なるほど、本件当時被告人が右のような裁判官の職務権限についての法解釈の詳細まで認識していたとは考えられない。しかし、前述のとおり、本件に際し被告人がことさら裁判官であることを名乗り続け、私的個人的な研究のための調査であるとの趣旨は少しももらさない一方で、かねて治安関係の裁判や事件を研究してきている旨を告げ、「釈放表紙と釈放執行指揮と釈放指揮と診察のところが札幌高検にも本省にもどこにもないんです。」、「ご承知だと思いますけれども、司法研究というのがあるんですがね。」などともいつていることなどからすれば、被告人は本件当時においても、根拠や理由付け等についてはともかく、裁判官が刑務所長らに対し資料の閲覧、提供等を求めることが、具体的な担当事件の処理のためでなくとも、裁判官としての正当な職務の遂行に関連のある目的でするのであれば、その職務権限に属することを十分認識し、それが故に職権の行使であるかのように仮装していたと推認することができる。被告人が有した職務権限の認識において、犯意の成立上欠けるところはないというべきである。

また、前述のとおり、被告人が全く私的な目的でいるのに、あえて裁判官としての正当な目的による調査行為であるかのように仮装して、本件所為に及んでいると認められることからするならば、被告人に裁判官としての職務権限を濫用しているとの認識があつたことは、これに疑問を差しはさむべき余地がない。違法性の意識があつたこと、違法性の意識の可能性があつたことなどを犯意成立の要件とすべきか否かは、一個の問題であるが、被告人が職権の行使を仮装した状況からすれば、被告人に違法性の意識があつたことも明らかである。

そうであれば、本件に際し被告人に犯意のあつたことは、優にこれを認定することができる。

(五)  可罰的違法性について

すでに述べたように、身分帳簿は、法務省内で秘密文書の指定を受けてはいないが、それが開示された場合の収容者等関係者の名誉や人権に対する侵害、行刑処遇の実施及び施設の管理運営に対する悪影響等を考慮するときは、実質的に秘密性のある文書と解されるべきものであり、このような身分帳簿を秘密文書として取扱う理由からすれば、身分帳簿のうちに保存期間を経過した書類があつたり、内容虚偽であるとか偽造されたと考えられるものがあつたりしても、その秘密性に変わるところはないとするほかはなく、被告人の本件所為について可罰的違法性がないとする主張は、その前提を欠くというべきである。被告人の本件所為は、裁判官の職にある被告人が執務上の一般的参考に資するなどの正当な目的ではなく、これとかかわりのない全く私的な目的のために、程田所長及び南部課長をして、判示したような経緯、態様で本件身分帳簿の内容を開示させたというものであるから、これが実質的にも違法視されるべきことは明らかである。

(六)  判例による職権濫用罪不成立の主張について

大判大正元年一二月二三日刑録一八輯一五七七頁は、公務員の被告人が部下の公務員と共謀して、その部下に虚偽公文書を作成させたという案件について、公務員が職権を濫用して他人に犯罪を実行させた場合は、職権濫用罪に該当しない旨を示したにすぎないものであり、本件とはそもそも事案を異にしている上、右の考え方が常に妥当するものとして一般化できるともいい難い。のみならず、右判例に従うとしても、公務員が情を知らない他人に職権行使を仮装し、その他人が適法なものと誤信してこれに応じたような場合について、職権濫用罪の成立を否定することはできないと考えられ、右判例をもつて、被告人の本件所為が同罪を構成しないことの論拠とはなし得ないというべきである。

(七)  公訴時効一部成立の主張について

被告人は、昭和四九年七月二四日にした本件身分帳簿の写真撮影が失敗に終わつたことから、これを補完しようとして、同月二九日南部課長に対して本件身分帳簿の一部の写しを送付するように依頼したのであり、同課長が被告人に本件身分帳簿の一部の写しを送付したのも、同月二四日及びそれ以前に被告人が程田所長及び同課長に対して職権を仮装した言動に出ていたことから、被告人の依頼を正当な職権の行使と誤信し、同様誤信していた同所長の意を体して被告人の依頼に応じたことの結果にほかならないので、被告人の同月二四日の所為と同月二九日の所為とを分断してこれらを別個のものとすることはできない。すなわち、被告人が同月二二日ころ網走刑務所に電話をかけたとき以降、同月二四日同刑務所で本件身分帳簿の閲覧を許されるなどしたことを含め、同年八月三日ころ本件身分帳簿の一部の写しを入手したことまでの一連の推移は、一罪としてとらえることができるので、本件公訴事実についての公訴時効は、全体として右本件身分帳簿の写しを入手した日から進行し、東京高等裁判所の付審判の決定が東京地方裁判所に通知された昭和五二年七月二九日において、被告人の本件所為の一部について三年の公訴時効が完成していたことはないというべきである。以上の次第であつて、弁護人及び被告人の前記各主張はいずれも理由がなく、これを採用することができない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九三条に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内において被告人を懲役一〇月に処し、同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文により、その全部(差戻前第一審及び同控訴審におけるもの)を被告人に負担させることとする。

(量刑の事情)

本件は、裁判官の職にあつた被告人が私的目的から、当時日本共産党中央委員会幹会部委員長をしていた宮本顕治が終戦後網走刑務所から釈放された際の事情を調査するため、同刑務所に保管中の資料を入手しようと企て、同刑務所長程田福松及び同刑務所総務部庶務課長南部悦郎に電話をかけた上、同刑務所に赴き、同所長らに会うなどして、裁判官の職権を行使するかのように仮装し、同所長らを誤信させ、その許諾を受けて、右宮本の身分帳簿の閲覧、写真撮影等をし、更にその一部の写しを郵送させたという案件である。被告人は、程田所長らに対し、巧妙かつ周到な言動を用いて立ち回り、裁判官に畏敬の念を抱いている同所長らを意のままにして、自己の目的を達するに至つている。そして、被告人が手に入れた身分帳簿の写しの中味は、被告人によつて他に流布され、これを問題視する者によつて、ことさら人の耳目をひくような方法で政治的、社会的な論議の対象に取り上げられ、世上を騒がす事態を招来しており、また、本来秘密であるべき本件身分帳簿の内容が、現職の裁判官である被告人からもれたとの疑惑が報道されるや、裁判官のあるべき姿から余りにも掛け離れたことが行われたとして、社会一般から衝撃的に受け止められてもいる。被告人が自己の職責の重大さを顧ることなく、多年にわたつて築き上げられてきた司法の権威や、司法に対する国民の信頼を悪用し、かつ、結果としてこれらを失墜させもしたことは、厳しく指弾されてしかるべきである。被告人の刑事責任は重いというほかはない。

しかしながら他方において、身分帳簿について保管責任を負い、秘密を解除する権限をも有していた程田所長が、被告人に対し調査事項も目的等を問い質し、その真意を明確にするように努めた上、本件身分帳簿を開示することが許されるかどうかを慎重に検討するなど、十全の応接をしていたならば、本件は未然に防ぐことができたと考えられ、同所長が被告人の要請をあいまいなまま無批判に受け容れた態度に問題があつたともいうことができること、本件については、事実認定の面にも法解釈の面にも解決困難な点があつて、不起訴処分、付審判請求棄却決定、同決定取消及び付審判決定、無罪判決、破棄差戻判決等と被告人に対する処分が変転し、そのため被告人は長年月にわたり容易ならざる対応をよぎなくされると共に、その都度報道や論評によつて社会の注視にさらされ、多大ともいえる精神的苦痛を味わつてきていること、被告人は、本件について犯罪としての成立は争いながらも、その道義的責任は痛感するとし、反省の意思を明らかにしていること、被告人は、本件とは別個の裁判官としての非行を理由にするとはいえ、昭和五二年三月裁判官弾劾裁判所において裁判官罷免の裁判を受け、いまだ法曹資格を回復し得ないままでいること、その他被告人の身上、経歴等被告人にとつて有利とすべき情状も少なからずうかがうことができる。

そして、これらの諸事情を総合して検討するときは、被告人の所為が社会に与えた影響の重大さは黙過し難いにしても、直ちに被告人を実刑に処するのは酷というべきであつて、この際は被告人に前記の刑を科した上、その刑の執行を猶予するのが相当であると思料される。

そこで、主文のとおり判決する。

(裁判官 横田安弘 匹田信幸 山口雅高)

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